【完全網羅】ベネトンF1の歴代マシン全16台!B186からB201まで栄光の歴史を解説
イタリアのファッションブランドがF1の世界に飛び込んできた時、誰もがそのカラフルな見た目に驚きました。私がF1を見始めた頃、ベネトン・フォーミュラはすでに強烈な個性を放つトップチームの一角でした。1986年から2001年までの16年間、ベネトンはF1に新たな風を吹き込み、ミハエル・シューマッハという絶対的なチャンピオンを生み出し、数々の革新的なマシンで時代を築き上げました。
この記事では、ベネトンF1が駆け抜けた栄光の歴史を、その象徴である全16台の歴代マシンとともに、B186からB201まで一台ずつ詳しく解説します。それぞれのマシンが持つ技術的な特徴や、その時代背景、そして輝かしい戦績を振り返り、ベネトンというチームの本質に迫ります。
ベネトンF1の歴代マシン|全16台一覧
ベネトン・フォーミュラは16年間の活動で、F1の歴史に深く名を刻みました。ここでは、チームが世に送り出した全16台のマシンとその戦績を一覧で紹介します。
| 年 | マシンモデル | チーフデザイナー/TD | エンジン | 主要ドライバー | 優勝 | PP | C.順位 |
| 1986 | B186 | ロリー・バーン | BMW M12/13 (I4 Turbo) | G. ベルガー, T. ファビ | 1 | 2 | 6位 |
| 1987 | B187 | ロリー・バーン | Ford GBA (V6 Turbo) | T. ブーツェン, T. ファビ | 0 | 0 | 5位 |
| 1988 | B188 | ロリー・バーン | Ford DFR (V8) | T. ブーツェン, A. ナニーニ | 0 | 0 | 3位 |
| 1989 | B188/B189 | ロリー・バーン | Ford DFR (V8) / HBA (V8) | A. ナニーニ, J. ハーバート | 1 | 0 | 4位 |
| 1990 | B189B/B190 | R. バーン / J. バーナード | Ford HBA (V8) | N. ピケ, A. ナニーニ | 2 | 0 | 3位 |
| 1991 | B190B/B191 | ジョン・バーナード | Ford HBA (V8) | N. ピケ, M. シューマッハ | 1 | 0 | 4位 |
| 1992 | B191B/B192 | R. バーン / R. ブラウン | Ford HBA (V8) | M. シューマッハ, M. ブランドル | 1 | 0 | 3位 |
| 1993 | B193A/B193B | R. バーン / R. ブラウン | Ford HBA (V8) | M. シューマッハ, R. パトレーゼ | 1 | 0 | 3位 |
| 1994 | B194 | R. バーン / R. ブラウン | Ford Zetec-R (V8) | M. シューマッハ, J. フェルスタッペン | 8 | 6 | 2位 |
| 1995 | B195 | R. バーン / R. ブラウン | Renault RS7 (V10) | M. シューマッハ, J. ハーバート | 11 | 4 | 1位 |
| 1996 | B196 | R. バーン / R. ブラウン | Renault RS8 (V10) | J. アレジ, G. ベルガー | 0 | 0 | 3位 |
| 1997 | B197 | P. シモンズ / N. ワース | Renault RS9 (V10) | J. アレジ, G. ベルガー | 1 | 2 | 3位 |
| 1998 | B198 | ニック・ワース | Playlife (Renault) V10 | G. フィジケラ, A. ヴルツ | 0 | 1 | 5位 |
| 1999 | B199 | ニック・ワース | Playlife (Supertec) V10 | G. フィジケラ, A. ヴルツ | 0 | 0 | 6位 |
| 2000 | B200 | M. ガスコイン / P. シモンズ | Playlife (Supertec) V10 | G. フィジケラ, A. ヴルツ | 0 | 0 | 4位 |
| 2001 | B201 | マイク・ガスコイン | Renault RS21 (V10) | G. フィジケラ, J. バトン | 0 | 0 | 7位 |
この表を見るだけでも、チームの浮き沈みやエンジンの変遷、そしてドライバーの顔ぶれから、その時代のドラマが透けて見えます。
ターボ時代と挑戦者の形成(1986年~1988年)
ベネトンがF1に参入した当初は、まさにターボ全盛期でした。チームは大胆な技術選択で、F1界にその名を知らしめていきます。
B186|極彩色のロケット(1986年)
ベネトンの処女作であるB186は、衝撃的な一台でした。私がこのマシンを語る上で欠かせないのが、その心臓部であるBMW M12/13 直列4気筒ターボエンジンです。予選では1,400馬力以上を絞り出したと言われるこのエンジンは、F1史上最もパワフルな怪物でした。
しかし、その強大なパワーは、深刻なターボラグという代償を伴います。ドライバーのゲルハルト・ベルガーは「ロケットのようだった」と語り、時速340kmを超えてもホイールスピンを起こすほどのじゃじゃ馬だったのです。このパワーを受け止めるため、デザイナーのロリー・バーンは堅牢なシャシーを設計し、マシンはベネトンのブランドイメージを体現する極彩色のカラーリングでサーキットを彩りました。この無謀とも思える挑戦は、メキシコGPでベルガーがチーム初優勝を飾るという最高の結果で報われます。
B187 & B188|新規定への巧みな適応(1987年~1988年)
1987年、チームはフォード・コスワースGBA V6ターボエンジンにスイッチします。このエンジン変更に伴い、ロリー・バーンは設計の主軸をエアロダイナミクスへと移し、B187を生み出しました。極端に細い「ペンシル・ノーズ」とワイヤーで吊られたフロントウイングは、彼の独創性が光る野心的なデザインでした。
翌1988年のB188は、ベネトンの戦略的な思考を象徴するマシンです。ターボエンジンが禁止される1年前というタイミングで、いち早く自然吸気(NA)のフォードDFR V8エンジンを採用したのです。この先見の明により、チームは信頼性と燃費でライバルに対して優位に立ちました。B188は優勝こそないものの、7度の表彰台を獲得し、NA勢トップのコンストラクターズランキング3位という大成功を収めます。
V8時代と天才の登場(1989年~1993年)
NAエンジン時代に突入すると、ベネトンは着実に戦闘力を高めていきます。そして、後のF1の歴史を塗り替える一人の天才ドライバーがチームに加わりました。
B189 & B190|フォードHB V8の約束(1989年~1990年)
1989年、ベネトンはフォードとの関係を強化し、新型のフォードHBA V8エンジンを独占的に手に入れます。このエンジンを中心に設計されたB189は、エンジンの開発遅れでシーズン途中からの投入となりましたが、物議を醸した日本GPでアレッサンドロ・ナニーニが優勝を飾りました。
1990年のB190は、B189の正常進化版であり、高い完成度を誇りました。このマシンを駆るネルソン・ピケがシーズン終盤の日本GPとオーストラリアGPで2連勝を達成します。特に日本GPでは、ロベルト・モレノが2位に入り、チーム史上初の1-2フィニッシュという快挙を成し遂げました。
B191|空力革命とシューマッハの到来(1991年~1992年)
テクニカルディレクターのジョン・バーナードが初めてゼロから設計したB191は、F1の空力デザインに革命を起こした一台です。高く持ち上げられた「ハイノーズ」は、マシン下面の空気の流れを劇的に改善し、その後のF1マシンのトレンドを決定づけました。
この革新的なマシンは、チームの運命を左右する二つの出来事の舞台となります。一つはカナダGPでのネルソン・ピケのキャリア最後の勝利です。もう一つは、若きミハエル・シューマッハの電撃移籍でした。ジョーダンで衝撃のデビューを飾ったシューマッハは、わずか1戦でベネトンに加わり、すぐにその非凡な才能を発揮し始めます。
B192 & B193|ドリームチームの序章(1992年~1993年)
ロリー・バーンが復帰し、新たにロス・ブラウンがテクニカルディレクターに就任したことで、F1史に残る「ドリームチーム」が誕生します。その最初の作品が、1992年のB192です。下向きに垂れた独特の形状から「バナナノーズ」と呼ばれたこのマシンは、技術的にはシンプルでしたが、基本設計が非常に優れていました。
このマシンの真価を引き出したのがシューマッハです。彼は雨のベルギーGPで、自身初のF1優勝を飾ります。これはマニュアルトランスミッション車による最後のF1勝利としても記録されています。翌1993年のB193は、アクティブサスペンションなどのハイテク装備を段階的に導入し、チャンピオン獲得へ向けた重要な習熟の年となりました。
シューマッハの支配と成功の頂点(1994年~1995年)
ドリームチームと天才ドライバーの組み合わせは、ついにF1の頂点を極めます。この2年間は、まさにベネトンとシューマッハの時代でした。
B194|論争のチャンピオン(1994年)
ハイテク装備が禁止された1994年、ベネトンはフォードZetec-R V8エンジンを搭載したB194を投入します。シューマッハはこのマシンで開幕から連勝を重ねますが、その圧倒的な速さから、違法なトラクションコントロールの使用疑惑が浮上しました。
FIAの調査でECUから「オプション13」と呼ばれるローンチコントロール機能が発見されるも、レースでの使用証拠は見つかりませんでした。加えて、給油中の火災事故やシューマッハの出場停止など、シーズンは数々の論争に揺れます。それでもシューマッハは、最終戦でデイモン・ヒルと接触するという劇的な結末で、初のドライバーズチャンピオンに輝きました。私が思うに、B194は卓越したマシンであると同時に、勝利のためならグレーゾーンを攻めるチームの姿勢を象徴する一台です。
B195|ダブルタイトル獲得(1995年)
1995年、ベネトンは当時最強と謳われたルノーRS7 V10エンジンを獲得します。この最強エンジンを搭載したB195は、前年のB194を発展させたマシンでしたが、非常に神経質な操縦性を持っていました。フロントの反応が鋭すぎる一方でリアが滑りやすいという、ナイフの刃の上をいくようなマシンだったのです。
しかし、このピーキーな特性こそがシューマッハの超人的なドライビングスタイルと完璧に噛み合いました。彼はこのマシンを自在に操りシーズン9勝を挙げ、2年連続のドライバーズタイトルを獲得します。チームメイトのジョニー・ハーバートも2勝し、ベネトンはチーム史上初となるコンストラクターズチャンピオンシップにも輝き、ここに黄金時代は頂点を迎えました。
ポスト・シューマッハ時代とルノーへの移行(1996年~2001年)
栄光の頂点に達したチームでしたが、中心人物たちの離脱により、緩やかな下降線をたどることになります。そして、ルノーへの売却という形で、その歴史に幕を下ろす時が近づいていました。
B196 & B197|困難な継承と最後の勝利(1996年~1997年)
シューマッハ、ブラウン、バーンという黄金時代の立役者たちがフェラーリへ移籍した影響は甚大でした。1996年のB196は、より運転しやすいマシンを目指しましたが、速さと信頼性を両立できず、1988年以来のシーズン未勝利に終わります。
翌1997年のB197は改善を見せ、チームは最後の輝きを放ちます。ドイツGPで、ゲルハルト・ベルガーがポール・トゥ・ウィンを飾ったのです。これが、ベルガー自身にとって、そしてベネトン・フォーミュラにとっても最後の勝利となりました。この年をもってルノーのワークスエンジン供給も終了し、一つの時代が終わりました。
B198 & B199|プレイライフ時代の挑戦と失敗(1998年~1999年)
1998年からは、旧型ルノーエンジンを「プレイライフ」ブランドで搭載するカスタマー時代に突入します。チームは栄光を取り戻すべく、1999年のB199で野心的な技術に挑戦しました。デュアルクラッチ・トランスミッションや、フロント・トルク・トランスファー(FTT)といった画期的なシステムです。
しかし、これらの複雑な技術は期待通りの効果を発揮せず、むしろマシンのバランスを崩す結果に終わりました。成績はチーム史上最低のコンストラクターズ6位にまで低迷し、この挑戦は失敗の烙印を押されます。
B200 & B201|ひとつの時代の終わり(2000年~2001年)
2000年、ルノーがチームを買収し、2002年からの完全なワークス復帰を発表します。2000年のB200は堅実な設計で競争力を取り戻し、ランキング4位に入りました。
そして2001年、ベネトンの名を冠する最後のマシン、B201が登場します。このマシンは、ルノーが復帰に向けて開発したバンク角111度という超広角V10エンジンを搭載していました。しかし、この革新的なエンジンはパワー不足と信頼性欠如に苦しみ、シーズンを通して競争力を発揮できませんでした。2001年の日本GPを最後に、ベネトン・フォーミュラは16年の歴史に静かに幕を下ろしたのです。
まとめ|ベネトンがF1に残した偉大な遺産
私がベネトン・フォーミュラの歴史を振り返って強く感じるのは、その功績が単なる勝利やタイトルの数だけでは測れないということです。ベネトンは、F1にファッションやマーケティングという新たな文化を持ち込み、ミハエル・シューマッハをはじめとする数多くの才能を育て上げました。
B186の圧倒的なパワー、B191の空力革命、B194の論争、そしてB195の絶対的な強さ。そのカラフルなマシンたちは、常に既成概念への挑戦と、勝利への飽くなき探求心、そしてそれを支える卓越したエンジニアリングの象徴でした。
ベネトンという名前はF1から消えましたが、その魂は英国エンストンのファクトリーに生き続けています。そのDNAはルノーF1チームへ、そして現在のアルピーヌF1チームへと受け継がれています。ベネトンの物語は、F1の歴史における最も重要なファクトリーの一つが築き上げた、栄光の第一章なのです。
