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ホンダF1で30年ぶりの栄冠!『山本雅史』の功績を辿る

シトヒ
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2021年、F1の世界で歴史的な瞬間が訪れました。ホンダがパワーユニット(PU)サプライヤーとして、マックス・フェルスタッペン選手(レッドブル・レーシング)と共に30年ぶりとなるドライバーズチャンピオンシップを獲得したのです。この快挙の裏には、多くの人々の努力と情熱がありました。

その中心人物の一人が、当時ホンダF1のマネージングディレクターを務めていた山本雅史氏です。彼のリーダーシップなくして、この栄光はなかったと言っても過言ではありません。本記事では、山本雅史氏のホンダ入社からF1プロジェクトでの活躍、そして現在に至るまでの軌跡を辿り、その功績に迫ります。ホンダF1復活の舞台裏、そして山本氏の「勝利の流れをつかむ思考法」を探っていきましょう。

山本雅史氏とは?|ホンダでの歩みとF1への道

ホンダF1復活の立役者、山本雅史氏のキャリアはどのように始まったのでしょうか。彼のホンダでの歩みと、F1の世界へ足を踏み入れるまでの経緯を見ていきましょう。

エンジン設計志望からデザイン部門へ|ホンダ入社と初期キャリア

山本氏は当初、エンジン設計を志していました。

1964年生まれ、奈良県出身の山本雅史氏は、高校の機械工学科を卒業後、1982年に株式会社本田技術研究所に入社しました。彼の最初の希望はエンジン設計でしたが、配属されたのは和光研究所のデザイン開発部門でした。

そこでは、市販車やモーターショー用車両のデザイン試作を担当しました。エンジン設計への思いを上司に伝えましたが、「まずは3年間、今の仕事に全力で取り組みなさい」と諭され、その言葉を受け入れます。結果的に、デザインの仕事に楽しみを見出し、当初の3年を超えて勤務を続けることになりました。この経験が、彼のキャリアの出発点となり、多様な分野への適応能力を育む土台となったのです。

レースへの情熱|モータースポーツへの初期の関与

山本氏は仕事と並行して、モータースポーツ活動にも深く関わっていました。

ホンダの若手技術者中心のチームで、オーストラリア大陸縦断ソーラーカーレース「ワールド・ソーラー・チャレンジ」に参戦。1990年には2位、そして1993年には自身がドライバーとして新記録で優勝を果たしました。

さらに、全日本カート選手権のトップカテゴリー(FSAクラス)にも参戦経験があり、後のトップドライバー本山哲選手とチームメイトだった時期もあります。これらのドライバーとしての実体験は、単なるマネージャーではなく、レースの現場を知る「レース屋」としての彼の視点を形作る上で、非常に重要な要素となりました。レースへの深い情熱が、後のキャリアを力強く後押しすることになります。

マネジメント能力開花|技術広報とリーダーシップ

山本氏はデザイン部門でキャリアを積む中で、マネジメント能力を発揮していきます。

36歳という若さで管理職に抜擢され、その後、栃木研究所へ異動し、四輪R&Dセンターの技術広報室長などを歴任しました。技術広報室長時代には、米国の速度記録イベント「ボンネビル・スピードウィーク」への参戦を主導し、ホンダのマシンが世界記録を樹立するという成果を上げています。

この時期、彼はマネジメントと戦略的コミュニケーションのスキルを磨きました。技術への理解、マネジメント能力、そして広報・渉外能力という多角的なスキルセットは、後のF1プロジェクトを率いる上で不可欠なものとなっていきます。

F1プロジェクトの舵取り|マネージングディレクターとしての挑戦

モータースポーツ部長を経て、山本氏はついにF1プロジェクトの中心人物となります。困難な状況からの脱却、そして栄光への道を切り開いた彼の挑戦を見ていきましょう。

危機からの脱却|マクラーレンとの関係解消と新パートナーシップ

ホンダF1は当時、マクラーレンとのパートナーシップで苦戦していました。

2016年にモータースポーツ部長に就任した山本氏は、この困難な状況の打開に取り組みます。特に2017年、マクラーレンとの契約解消は彼のキャリアにおける重要な局面でした。

交渉の舞台裏|「win-win」を目指して

山本氏は、当時の状況を振り返り、交渉の重要性を語っています。

マクラーレンとの間には5年契約が存在しましたが、山本氏は約3ヶ月にわたる粘り強い交渉の末、違約金を発生させることなく「発展的解消」を実現しました。これは彼の卓越した交渉力を示すものであり、「win-win」の関係構築を目指す彼の哲学が表れています。この成功がなければ、ホンダのF1プロジェクト自体が継続できなかったかもしれません。

戦略的転換|トロロッソ、そしてレッドブルへ

マクラーレンとの関係解消は、新たな道を開く転換点となりました。

山本氏は、2018年からのスクーデリア・トロロッソ(現アルファタウリ)へのPU供給、そして2019年からのレッドブル・レーシングとの契約締結を主導しました。トロロッソとの提携は、トップチームであるレッドブルと組む前の重要な準備期間と位置づけられました。この段階的なアプローチは、ホンダがF1で再び成功を収めるための計算された戦略だったのです。

F1専任体制へ|マネージングディレクター就任とその役割

レッドブル・レーシングへのPU供給開始という重要な局面で、山本氏は新たな役職に就きます。

2019年4月、山本氏は新設されたF1マネージングディレクターに就任しました。これは、彼がF1活動に専念するためのポジションであり、ホンダのF1プロジェクトへの強いコミットメントを示すものでした。

レッドブルとの強固な連携|勝利への基盤

山本氏の重要な責務の一つが、レッドブル・グループとの関係構築でした。

彼はレッドブル・レーシングのクリスチャン・ホーナー代表やヘルムート・マルコ博士と緊密な関係を築き上げました。要求水準の高いレッドブルとの間で信頼関係を構築し、効果的なコミュニケーションを図ることは、チャンピオンシップ獲得に不可欠でした。彼の「レース屋」としての背景と「win-win」の哲学が、この強固なパートナーシップの礎となったと考えられます。

交渉、マネジメント、そして代表業務|多岐にわたる責任

山本氏の役割は、技術面だけでなく、多岐にわたりました。

現場の技術的なリーダーシップは田辺豊治テクニカルディレクターが担い、山本氏はチームやFIA(国際自動車連盟)、FOM(フォーミュラ・ワン・マネジメント)との交渉、戦略的な意思決定、そしてホンダを代表する役割を担いました。2021年のアメリカGPで表彰台に登壇した姿は、多くのファンの記憶に残っているでしょう。特にホンダのF1撤退が発表された後の2021年シーズンは、チームの士気を高める精神的支柱としても重要な役割を果たしました。

栄光への軌跡|ホンダF1復活と30年ぶりのチャンピオン獲得

山本氏のリーダーシップの下、ホンダF1は着実に成果を上げていきました。

レッドブル・レーシングと共に勝利を重ね、ついにF1の頂点へと駆け上がります。

パフォーマンス向上への貢献|技術開発の前倒し

ホンダPUのパフォーマンス向上は、目覚ましいものがありました。

山本氏は、PU開発の加速を後押ししました。特に、ホンダが2021年シーズン限りでのF1撤退を発表した後、当初2022年に投入予定だった新型PU骨格を1年前倒しで2021年に導入するという大胆な決断に関与しました。この決断が、チャンピオン獲得への大きな推進力となったのです。

2021年、歓喜の瞬間|フェルスタッペンと共に頂点へ

そして迎えた2021年シーズン最終戦アブダビGP。

劇的な展開の末、マックス・フェルスタッペン選手がドライバーズチャンピオンシップを獲得。ホンダにとっては1991年のアイルトン・セナ選手以来、実に30年ぶりとなる栄冠でした。この歴史的瞬間の立役者として、山本氏の名前はF1の歴史に刻まれました。レッドブル・レーシング・ホンダはコンストラクターズランキングでも2位を獲得し、ホンダF1第4期活動は最高の形で幕を閉じました。

新たなステージへ|ホンダ退職とコンサルタントとしての活動

F1での目標を達成した山本氏は、新たな道へ進むことを決断します。ホンダを離れ、コンサルタントとして活動を始めた彼の現在を見ていきましょう。

ホンダでのキャリアに終止符|退職の背景と決断

山本氏は、ホンダF1撤退後の2022年1月末をもってホンダを退職しました。

しかし、退職の決断自体はチャンピオンを獲得する前の2021年3月頃にはなされていました。6年間にわたるF1での激務の後、家族との時間を大切にしたいという思いや、ホンダで培った経験を異なる立場で活かしたいという考えがあったと語っています。「やりきった」という達成感と共に、自身のキャリアの次のステップを見据えた計画的な決断でした。

独立と新たな挑戦|MASAコンサルティング・コミュニケーションズ設立

ホンダ退職後、山本氏は自身のコンサルティング会社を設立しました。

社名は「MASAコンサルティング・コミュニケーションズ株式会社」。自身のニックネーム「マサ」を冠したこの会社で、彼はホンダで培った豊富な経験とネットワークを活かし、新たなキャリアをスタートさせました。

F1との継続的な関わり|レッドブル・パワートレインズとの連携

独立後も、山本氏はF1との関わりを持ち続けています。

新会社は、ホンダのPU技術を引き継いだレッドブル・パワートレインズ(RBPT)とコンサルティング契約を締結しました。

日本とレッドブルの架け橋|HRCとの連携サポート

山本氏の現在の主な役割は、RBPTと、PUのサポートを行うHRC(株式会社ホンダ・レーシング)との間のコミュニケーションを円滑にする「架け橋」となることです。

彼の存在は、ホンダの公式撤退後も、レッドブルと日本の間のスムーズな連携を維持するために不可欠です。日本の文化やホンダの企業文化への理解を助け、技術移転や運営上の連携を円滑に進める上で、彼の経験と人間関係が活かされています。

F1以外への貢献|若手育成と知見の共有

山本氏の活動はF1に留まりません。

全日本スーパーフォーミュラ選手権ではTEAM GOHの監督を務め、若手ドライバーの育成に力を注いでいます。講演会やセミナー活動、メディアでの解説などを通じて、自身の経験や「勝利の流れをつかむ思考法」を広く共有しています。F1で得た知見を、日本のモータースポーツ界全体の発展に還元しようとしています。

まとめ

ホンダF1に30年ぶりの栄冠をもたらした立役者、山本雅史氏。彼のキャリアは、エンジン設計を志望しながらもデザイン部門からスタートし、レースへの情熱を胸に、マネジメント、技術広報、そしてモータースポーツ戦略の最前線へと歩みを進めてきた軌跡そのものです。

F1マネージングディレクターとしては、マクラーレンとの困難な関係解消を成し遂げ、レッドブル・レーシングとの強固なパートナーシップを築き上げました。卓越した交渉力、戦略的な思考、そして異文化を繋ぐコミュニケーション能力を発揮し、ホンダPUの劇的なパフォーマンス向上を後押し。そして2021年、マックス・フェルスタッペン選手と共に悲願のF1ワールドチャンピオンシップを獲得するという、歴史的な偉業を達成しました。

ホンダ退職後は、自身のコンサルティング会社を設立。現在もレッドブル・パワートレインズのアドバイザーとしてF1に関わり続け、日本とレッドブルの架け橋として重要な役割を担っています。同時に、国内レースでの若手育成にも尽力し、その知見と経験を次世代へと繋いでいます。

山本雅史氏の歩みは、困難な状況を乗り越え、目標達成へとチームを導くリーダーシップの重要性、そして「勝利の流れをつかむ」ための思考法を私たちに教えてくれます。彼の今後の活躍からも目が離せません。

著者情報
シトヒ
シトヒ
ブロガー

在宅勤務の会社員
趣味・得意分野
⇨スポーツ観戦:F1、サッカー、野球
⇨テック分野が好物:AI、スマホ、通信

姉妹サイト:MotoGPマニア

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